memorandum

試考錯誤

お母さんという虚像と現代的ファンタジー

最近はジェンダレスファッションが流行していたし男の娘ブームもあり男性による女装というものはさほど珍しくなくなってきた。

女装について思うのは女装が好きでない男の雑い女装ってミソジニー女性嫌悪)が表出して思えるからちょっとムカつくなって気持ちと、いかにも似合ってない雑い女装をしてるからこそ滲み出る男らしさはそれはそれで倒錯的な色気があるなってどうでもいい感想。

とりあえず女装するからには歴史的にそれを装ってきて今もだいたい装ってる女性たちに敬意を少しでも払って欲しくなるし、出来ればそこから少しでもジェンダー(社会的・文化的性差)とかセクシュアルについて考えてほしい気がしてしまうことなんだけど。

 

そんなことを書き残したいのでなく自分の新しい性癖というか嗜好に気づいてしまった気がした衝撃で書いてます。

その性癖・嗜好とは…

 

 

 

 

…昭和の主婦装男性です。

 

星野源のおげんさん(わかりやすくいうとほぼサザエさん)がすごい好きで、可愛くて明るくて優しくてこんな家族がほしい…ってのはよく思ってたけど。ただおげんさんが好きなんだと思ってた。

でも、ファミマのお母さん食堂のイメージキャラクターである慎吾母も良すぎてちょっとこれはダメなやつかも?となってしまった。

断っておくとそれまで星野源香取慎吾もそんなに好きな芸能人ではない。決して好きな男性芸能人が女装してみたら可愛かったから喜んでるわけではない。

星野源はいまは結構好きだけど、プロなんだし当たり前な気もするけど素人目にもすごい音楽への造詣の深さや、反して決して上から物を言うのでなくとても素朴なもの言い、ラジオで見せる公平で想像力豊かなものの見方とか。下ネタを上手く扱える人に悪い人はいない。

 

それにしても上記のようにジェンダー云々言ってることからも分かるように女装の流行がジェンダレスに繋がるならいいけど女装って下手したらミソジニーを助長するのでは?とか、すこし冷めて一歩引いておきたい気持ちだったのにも関わらず。おげんさんと慎吾母に対しては小難しいことは置いておいてとりあえずいいみたいな、思考停止の好感度である。

え?私の性癖気持ち悪すぎない?

 

ふと、べつに昭和主婦装なら女でもいいのでは?と思ったけどそれは全然ちがう事実と、実際お母さん食堂のキャラクターの定食屋さん?実家の母?に男性を起用したか考えたら、ちょっと複雑な感じもするけど。

たとえば私が地味な長いスカートにエプロンという出で立ちとか着物に割烹着とか‬自分がしたいかというとしたくないし、他の女性が好きでしてるなら何も言っちゃいけないんだけれども今時したいか?それもし周囲の男が喜んだら嬉しいの?複雑ちゃう?って気持ちだったりする(主婦的な役割を表す装いや振る舞いが女性にしか結びつかず性差別に繋がらない時代が来たらそんなことは思わなくて済むだろうが)。

だからあくまで装いと役割が性差の文脈から剥がれてるから成り立つファンタジーなのだと思う‬。役者と役割が反転してるからこそ見えてくるその役割の良さ。必要性にこそ、現代的な癒しがあるのではないか。

 

ともあれそんないろんな理屈を無意識下に追いやって
言語障害的な感想(しんどいとか、尊いとか)をもたらすからこその性癖…フェチである。

 

(余談、慎吾ママから18年ですって。おどろき。オハーでマヨチュチュ的な曲なつかしいですね。慎吾母にもテーマソングないんですかね?)