memorandum

試考錯誤

青空が広がる表紙の物語

私は夏が好きではない。もちろん暑いこともあるけど、夏の「楽しまないという損」みたいな強迫観念が滲みでてるところとか、もっというと生命力が溢れてる空気が嫌い。

この夏は「平成最後の夏」というワードを飽き飽きするほどよく見かけて、決まって特別なものにしたいという気持ちや夏を惜しむ感情が夏を美化している。例年以上に地獄のように気持ち悪い夏だ。

別に、人生を物語化することを非難してるわけではない。

自分を本にするために湖畔に集うSF小説は嫌いになれないし、人は皆何かの映画の主人公や小説の主人公と思って生きるべきである。という誰かの言葉に共感しさえする。

しかし、むしろ夏という季節はその選んで主人公になれる物語が極端に減るように思う。

美しい青空、田舎、絆、冒険、成長、青春そんな物語に全てが飲み込まれてしまう。

私は日本のアニメーション映画が決まってメインビジュアルに白々しい青空をもってくるのが死ぬほど嫌いなのだ。

 

秋は良い。そんな希望いっぱいの物語なんて忘れて、寂しくても悲しくても物語の主人公になれるのだ。

そういう人にこそ物語は必要なのではないか。そんなことを思う夏だった。